あれから、71年。


71年前、広島、長崎に原爆を落とされて一週間目、日本は降伏した。
それを記念日という気に私はなれない。
なるほど、日本は降伏して戦争に負けた。
これは、日本人にとって記念日と呼べるのだろうか?
一度に何十万人という人を一瞬に焼き尽くすという実験台に使われた愚かな日本。
広島の後すぐに、降伏をのぞんだ日本の想いを蹴って2発目の違う種類の原爆を落し実験を完了させた悪魔のようなアメリカ。勝てば官軍とはよく言ったものだと思う。

私はその時小学一年生で、登校日で学校に居た。
そして、その時、空襲警報は解除中で教室で担任の先生のお話を聞いていた。
突然、目もくらむ光に包まれ、先生の「机の下へ!」という叫び声に私たちは机の下に潜った。次の瞬間、校舎が揺れ、軋み、窓は飛び出し、ガラスが粉々に砕け散って壁に柱に床に刺さった。
暫く、身動きもせずに息をひそめていた一年生たち、先生の「さあ、防空壕へ行きましょう」の声に恐る恐る顔を出して見ると、先生の顔は血だらけ!
ご自分は顔をふさぐ間もなく飛び散ったガラスの破片が刺さったのだろう。

気が付いた時は近所の友達と手を繋いて家への道を走っていた。
「早く早く母の元へ!」
頭の上から照りつける太陽は薄い紗の幕を張ったようにぼんやりしていた。
ちらちら、光るチリのようなものが落ちていた。
家にたどり着いた途端、母にしがみついて泣いた。
「怖かった」という思ひと「安心」とで、それしかなかったんだと思う。
良くも悪くも、この2発の原爆で日本は降伏した。

日本は、それから戦争をしないという宣言をして「不戦」の国となった。
だが、此の頃その宣言は揺らいでいると感じる。
戦争を知らない子供達が政治家になる時が恐いとずっと感じてきた。
もう2度とあの無益な戦争を繰り返さないと世界で唯一の被爆国である日本は
先頭に立って叫ばなければいけないと思う。
あと、20年もすれば被爆体験者は居なくなってしまうだろう。
それでも、被爆2世、3世が戦争の無益を伝え続けて言って欲しいと思う