ピオンちゃん、安らかに。

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猫友のにゃタローさんの所のピオンちゃんが、亡くなりました。
まだ1歳半の若さでFIPという、お医者様にもどうしようもないという病気を発症して一月ちょっとにゃタローさんご一家の必死の看病も甲斐なく、虹の橋を渡ってしまいました。
その日、ピオンちゃんは、ご家族の所に出て来てご飯も食べたそうです。
それは、ピオンちゃんの感謝の気持ちだと思います。悲しまないでというコメントだとも。

一昨年の11月、去年の暮と別れを経験した身にはその事実を知っただけで言葉よりも涙がこぼれます。

看病には、いつも精神的な葛藤があります。
本当にこの子の為に良いことだろうか?自分の為に苦しめているのではないかという葛藤です。
その答えを出してくれるのも、愛するにゃんだと思っています。

うちの場合、いつも合図がありました。
亡くなる前に感謝の合図をくれるんです。
ピピは、足がよろよろしていてもトイレに入って用を足していました。無くなる前々日箱の中におもらしをしたのでおむつをしました。その時ピピは、決心したのだと思います。
夜に好物の鯛の刺身のミンチをあげたらティースプーンに一杯食べました。食欲でたねと喜んで、翌朝私たちが起きてくるまで待っていました。
私達に頭を撫でさせてお別れをして、静かに息を引き取りました。

フィガロは、頭の中の腫瘍に腫瘍ができて、色々病院も探しましたが、リスクの方が大きいと受け付けてはもらえませんでした。
それでも、4月から11月まで頑張って頑張って、私の気持ちに応えようとしてくれました。
亡くなる数日前、いつも、階下で寝ているのに、夜2階に上がってきて私の布団に入って(ゴロゴロ)言いながら一晩寝ました。その時も私は回復してきたのかもしれないとかすかな希望を抱きました。それから1週間後、フィガロは急性肺炎で亡くなりました。

モモは、亡くなる前にお部屋から出て来てアンと暫く遊び歩きまわり舐めてあげたりして
自分の寝床に引き上げました。
亡くなる日は家族全員(11人)が集まった日で、モモは旅立つ日に決めていたように会食が終わってがら、家族に見守られながら旅立って行きました。

うちの庭にもお墓が3つあります。
何も知らないアンはお墓の上でもピョンピョン飛び回っています。
そんなアンを眺めながら、猫って不思議な動物だなと思います。