3・11 祈りの日

ふと気が付けばクリスマスローズが咲いていた。うつむき加減にひっそりと。

あの未曾有の大震災から一年。昨日、今日とテレビは震災一色だ。
亡くなられた方達のご冥福をお祈りすると共に、いまだ行方の分らない方達が早くご家族のもとに帰られる事をお祈りする。
一年経っても多くの問題が遅々として解決に向かわないが、一般の人達の自分の身の危険も顧みず多くの人の命を救った人や、温かい思いやりの気持ちとか地域で地元を盛り上げている話など心温まる話がいっぱい伝えられてくる。

今日は第九の練習日で練習の前にみんなで黙祷を捧げた。

東京で原発廃止のデモが起きているとニュースであった。従弟の所からも原発反対の声を上げようと手紙が来たが、被爆者の私としては勿論原発など無ければ無いに越したことはないと思っていた。
でも、エネルギーの乏しい日本にあって原発は必要なのかと、被爆国である日本で原発を作るのには十分な検証がなされて安全が保障されたから出来たことだと思っていた。
想定外なんて、自然の世界にあり得ない。それをもクリア出来たから原発は出来たのだと思っていた。
今回の津波は千年に一度とも云われているが千年前にあったことなら想定外ではないだろう。
原発事故が無かったらもっと早く東北の復活が可能だったと思う。

3月10日付けの読売新聞編集手帳に 宮城県石巻市の小学1年佐々木惣太郎君(7)の作文「おとうさんへ」の一部が載っていた。

『小学校の教諭をしていた父、孝さんは(当時37歳)は津波にのまれて亡くなっている。
さびしくても泣かないこと、友だちができたこと、宿題もやっていることを告げて、作文は次のように結ばれている。

 だからおとうさん、いつもぼくのそばにいてね。
 ゆめのなかで、ほめてね。
 ぼく、いつでもまってるね。   』

これを読んで涙が止まらなかった。惣太郎君が成人式を迎える頃には東北は美しい東北に戻っているだろうか? 
津波の来た所まで桜を植えるプロジェクトがはじまっているとニュースで見た。後世の人に「津波が来たらこの桜並木の上まで逃げよ」と言うメッセージがあるという。なんという素晴らしい発想だろうと感動した。