2011年という年を振り返って

今0時50分、日付けは代わって31日となり2011年もあと23時間で終わろうとしている。この年をわたしはきっと忘れないだろう。
TVでは今年を振り返る番組がこの一週間程、どの局でも流れている。そして、改めてみる3月11日の津波の凄い威力を今更ながら感じ、震災にあわれたかたがたの無念さを思う。
今年は「一万人の第九」も東日本大震災を乗り越え、今を生きていることを感じ明るい未来が来ることを東北のかたがたと一緒に歌い共に歓喜の心を共有する日が来ることを祈るために歌った。忘れがたい「第九」となった。
東北だけでなく和歌山も台風の雨による大災害が起きた。義父の田舎が那智なのでいとこたちの家も埋まったり一部流されたりした。
世界中で自然災害が報じられた年だった。
散歩の途中、枯葉の中に咲いている健気な野の花


私にとっての2011年は、勤めていた頃の先輩、仲の良かった同僚と続いて亡くなられたこと。
一緒に入社した仲良し5人組が3人になってしまった。良く5人で遊びにいったし、お揃いで靴を買ったり昼休みにお気に入りの喫茶店に行ったりして楽しかった想い出は尽きない。
それから、愛してやまないフィガロが死んでしまったことだ。3月に発病して11月24日まで、9ヶ月の闘病生活だった。その間看病することが反ってフィガロの苦しみを長引くかせているのではないかと思ったり、一日でも長く生きて欲しいと願ったりの繰り返しであった。そんな中で娘達が気付かってくれて今年は「沖縄」「長崎」ともう一度行っておきたい場所に連れて行ってくれた。沖縄は可愛がってくれた伯父の亡くなった場所、長崎は実家のお墓で両親が眠っている場所。娘や孫達と行くことが出来て幸せであった。家族の絆を感じた年でも有った。

来る2012年は、再生の年として明るい話題が溢れる年であれと祈って、今年一年の日記を閉じよう。
皆様、良いお年をお迎え下さい。


おまけ
明日は芸術文化センターへ「ジルベスターコンサート」に行く。24時にカウントダウンして2011年に別れを告げる。それから「おめでとう!!」と新年を祝う。帰りに橿原神宮へ元気があったら初詣に行ければいいな。