父のこと

季節はずれの紫陽花

明日は発表会のリハーサルなので、歌の練習をした。
喉の調子が良くないので声ならしに日本歌曲集を色々歌っているうち、父の十八番を何曲か見つけた。その曲は「鉾をおさめて」「出船の港」「椰子の実」などでお酒を飲んでは良く歌っていた。一番の十八番はシャリアピンの「蚤の歌」であった。
それから、森繁久弥の「知床岬」も。
父の歌は、父独特の間合いで一緒に歌おうと思っても歌えない。森繁久弥よりもっとユニークであった。声は良く通るハイバリトンくらいだったかな。
謡いもしていて、尺八も吹いていた。お酒を飲んだ時は愉快に歌を。日曜日などには謡いを謡っていた。若い頃は、弓道、テニス、草野球などもしていたらしい。新婚時代に母が「地震になったらどうする?」と聞いたら「レコード持って逃げる」と言って喧嘩になったそうで、母は私達が大きくなっても言っていた。私の高校時代には、友達が遊びに来ると父も母も一緒になって遊んでいた。お坊ちゃんで遊び人で呑気な人だったから、蔭で母は苦労したことだろう。