同窓会

yosinonosato2010-10-24

昨日は、「ヤマハ女性の会」が心斎橋「湖月」で行われた。
心斎橋のヤマハに昭和20年代から40年に掛けて勤めていた、女の人の同窓会である。ヤマハが心斎橋にはじめて店を出した頃の先輩方から私達30年代前半、後半と登録している人が74名。昨日の参加者は、男性ゲスト、T氏、O氏を加えて24名(?)位。東京や浜松から参加した方もあって、この職場がいかに楽しいものであったかが伺われる。会うと一瞬で、20台に戻って話が弾む。私は小売部(店)の楽器売り場で、他にレコード、楽譜、オーディオが一階で、ピアノ売り場が二階、三階が事務所、四階が商品管理部であった。小売部は、みんな仲が良くてよくハイキングや飯盒炊爨に出かけていた。夏には一泊で加太に泳ぎに行くのも恒例行事だった。全体でも年1回慰安旅行もあった。情報が早いので音楽会にもよく行った。これは厳しくて内部で先に取ってもらえたりは無かったので、早起きして店が開く前に並んでいた。特典もあって五十嵐喜芳、ダークダックスのコンサート前の練習を二階でやっていて生で聞いたりもした。そのほか、山田耕作先生がいらしたり、関西の大御所の先生方も大勢いらした。
最後の1年は阪神の中にあるヤマハの店に出向になった。ここでの思い出は、カラヤン率いるベルリンフィルが来た時、店にメンバーがレコードを買いに来た。お互いに怪しげな英語と身振りで彼らは機嫌よく帰って行った。その晩、宝塚であった演奏会に行った私は、終わってから裏口でカラヤンが出てこないかと友人と待っていた。そこへ、団員の人たちが出てきて、私を見て手振りで昼間、レコード売り場に居ただろう?と聞くので、「イエス、イエス」と答えると「オウ、オウ」とハグして手のプログラムを見てサインしてくれ、それから店に来ていない人も次々ときてサインしてくれ、彼らはバスに乗って手を振りながら帰っていった。サインする時彼らは、自分はトランペットね、自分はトロンボーンねというふうにジェスチャーしながら書いてくれたのだが、後で見るとどれが誰やらさっぱり解らなかったが今もプログラムは大切に持っている。
そんな、いろんな思い出が詰まっているヤマハで過ごした4年間は私の人生の中でも輝いてる時間だ。