戦争の記憶① 「原爆の落ちた日」
先日、娘から「母も年なんだから今のうちに原爆や戦争のことを記録として書いておいてよ。形式は何でもいいやん。詩でもエッセイでも」といわれたので「と言ってもわたしの記憶は原爆の落ちたときの印象とああちゃんたちの話とかしかないよ」というと「それでもいいと思うよ」というので、これから暫らく戦争の記憶を書いてみようと思う。で、今日は一番記憶にある原爆の落ちた日のことを詩にしてみた。
真夏の雪
お日さまは 薄い紗をかぶったように白く見えた。
わたしのみじかい影が長崎高女の壁に映っていた。
町は静まりかえっていつもの蝉の声も聞こえなかった。
まるで町の中から人も蝉もいのちあるものみんな消えてしまったようだ。
先ほどの地獄のような光景は夢を見ていたのか?
それは、稲光と雷がいちどに百か千も一度に落ちたような物凄い光と音。
地響きと共に学校は一瞬で壊れた。
戸や窓は吹っ飛び、ガラスは粉々に割れて柱や窓枠、床にぎっしりと突き刺さった。
一年生達は「机の下へ」という先生の声にいち早く机の下にもぐりこんだ。
どれ位じっとしていたか分からない。
先生の「さぁ、防空壕へ行きましょう」の声におそるおそる顔を出してみれば
先生の顔は血だらけだった。
気がついたときは、どこをどうかいくぐったか、我が家への道を走っていた。
「早く!早く!母のもとへ」の一心で。
しんとした道にきらきら光る真夏の雪がふっていた。
このきらきら光って落ちてきた雪の様なものはいわゆる「死の灰」だ。
この下に繰り広げられている地獄絵を誰が想像できようか?
7万人もの人が一発の原子爆弾で亡くなったのだ。
この前、深夜放送で「TOMORROW」という映画を見た。
それは、ナガサキの8月8日の市井の人々のエピソードを淡々と描いたものであった。
明日が何事も無く訪れることを疑いもせずに生きている人々を。
そして、明日を無事に生き抜くことの出来なかった人々が7万人もいたことを生き残った者は決して忘れてはならないと思う。