浪速橋めぐり

yosinonosato2008-06-08

もう直ぐ居なくなるくいだおれ太郎
ライオン橋      

6月6日は歴史探訪で浪速橋めぐりに行った。
中ノ島公会堂前に集合して難波橋、通称ライオン橋を起点に 葭屋橋 、今橋、高麗橋、平野橋、思案橋と渡ったところでぜー六の最中アイスで一休み、本町橋、農人橋、久宝寺橋、安堂寺橋、末吉橋は見るだけで通り過ぎて九之助橋、瓦屋橋、上大和橋、下大和橋、日本橋、相合橋、太左ェ門橋、戎橋で上がり。3時間の道行きでした。

国土省交通局の「ひと、みち、くらし」から

「 水の都・大阪。
江戸時代、大阪は、「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで、「浪華の八百八橋」と呼ばれていました。これらの言葉は、本当に808ヶ所の寺や橋があるではなく、それほどの勢いで寺や橋が立ち並んでいたことの比喩的表現です。

となれば、大阪と江戸との橋の数を比べれば、当然大阪の方が多いはずですが、実際の数は江戸の約350橋に対して、大阪には約200橋ほどしか架けられていませんでした。
では、なぜ大阪が八百八橋の町と呼ばれていたのでしょうか。

その答えは、誰が橋を架けたのかにあります。
江戸の橋は、約350ある橋の半分が公儀橋と呼ばれる幕府が架けた橋でした。一方の大阪では、公儀橋は「天神橋」「高麗橋」などのわずかに12橋。残りの橋は、全て町人が生活や商売のために架けた「町橋」でした。町橋に対する幕府からの援助はなく、町人たちは自腹を切って橋を架けました。
自腹を切ってでも橋を架けた町人たちのこの勢いが、「浪華の八百八橋」と呼ばれる所以です。」

いかにも商人の町の勢いというか、活気が感じられますが現在の退廃ぶりを昔の商人達はどう嘆いているでしょうか?
橋下知事、平松市長にも頑張ってもらいたいものです。

なかなか、大阪の町を歩いて回るということはないので、地名で知っていても初めて歩いたという所がとても興味深く面白かった。この歴史探訪の会は本で読んで知っていてもこんな所に?と今更分かることが多くとても面白い。幹事さんに感謝!!