昔話

今日のハーブはチャイブ、薬味葱くらいの細さ
香りも似ています。サラダとか、薬味とか使い方色々。


今日は雨で阪神戦は中止なので、昨日の続きで昔話を。


戦後、60年の間の家電の進歩は凄いものがある。
子供の頃冷蔵庫は氷だった。毎朝氷やさんが配達に来て
のこぎりで氷を切って置いて行った。
洗濯機も掃除機も無かった。
別に家が特別貧乏だったわけではなく、一般庶民の
家では電話も無かった。
だから母の時代は主婦は忙しかったと思う。子供も何らかの
家事を受け持ってお手伝いをしていた。夕方になると
家の前を掃いて水を撒くのが小学生時代の
私の受け持ちだった。
着ている洋服も母が足踏みのミシンで縫ってくれた。
母は器用でセンスのいい洋服を作ってくれたので、
私は友人達に羨ましがられて得意だった。
母は自分のビロードの和装コートをほどいて
白いレースの襟のついたお出かけ用のワンピースなども
縫ってくれた。私はそれを着て学芸会に独唱した。
年の暮れになると、布団をといて外のがわを洗い
(洗濯機は無いので、当然洗濯板を使って手洗い。)
綿は打ち直しに出して仕立て直しをする。父の丹前も解いて
洗い張りをして(何故洗い張りと言うかと言うと洗って
張り板か伸子針を使って、糊を塗りピンと仕上げるから)
新しい着綿を入れて仕立て直す。
お正月前は主婦は特に忙しかったと思う。昔はそれが
当たり前でなんとも思わなかったが、母の世代の人は本当に
えらかったと思う。
でも、戦時中の苦労に比べたらなんでもなかよと言う母の
声が聞こえてくるようだ。何しろ、戦時中は家族に
食べさせるものの心配が毎日だったのだから。