祈りの日(長崎原爆の日 70周年)

今日は、長崎に原爆が落とされた日である。
 その日、小学一年生だった私は、夏休み中の登校日で教室の中で、先生のお話を聞いていた。

 一瞬、大きな稲光がして、先生の声「机の下に」。
 一年生が机の下に潜る!
 耳をつんざく爆音と共に、学校全体が飛び上がる。
 バリバリ、めりめりという音とともに、ガラスが、窓が、ドアが飛んでいた。

 しばらく 息をひそめていた子供たちが
 そろそろと這い出して見たものは、
 先生の血だらけの顔。
 柱にも床にも隙間なく突き刺さったガラスの破片。
 吹き飛んだ窓やドアが折り重なって出口をふさいでいた。

「早く、防空壕へ入りましょう!」という先生の言葉も耳にはいらず
 夢中で倒れた壁や窓の間を潜り抜け、走りだしていた。
 母の元へ、母の元へ!

♪ 真夏の雪
 お日さまは、うすい紗をかぶったように白く見えた

 わたしのみじかい影が長崎高女の壁に映っていた。

 町は静まりかえって いつもの蝉の声も聞こえなかった。

 まるで町の中から人も蝉も命あるものはみんな消えてしまったようだ。

 先ほどの地獄のような光景は夢を見ていたのか?

 地響きと共に学校は一瞬で壊れた。

 気が付いた時は、どこをどうかいくぐったか、我が家への道を走っていた。

 「早く早く!母の元へ」の一心で。
  しんとした道にきらきら光る真夏の雪が降っていた♪

毎年、同じものを書き続けているが、あの時の自分の心は、年老いても違う表現にはならない。
このきらきら光って落ちてきた雪のようなものはいわゆる「死の灰」だ。
この下に繰り広げられた地獄絵を誰が想像できようか?
7万人もの人が一発の原子爆弾で亡くなったのだ。
三菱造船で被爆した父は頭の毛が抜け急性白血病になった。従兄は爆心地の大学で亡くなった。
生き残った人も、一生を心に身体に傷をおって生きた人々の姿を安倍さん初め政治家は
もっと真摯に見つめ、考えて欲しい。
戦争を知らない子供たち」というホークソングがある。
前々から、戦争を知らない子供たちが政治家になる時代が恐いと思い続けていた。
今、その時代に入ろうとしている。
孫たちが、その子供達の時代が、平和な時代であるように心から祈らずにはいられない。