3度目の震災の日

今日は「祈りの日」である。

〈2012年3月10日付けの読売新聞編集手帳に 宮城県石巻市の小学1年佐々木惣太郎君(7)の作文「おとうさんへ」の一部が載っていた。

『小学校の教諭をしていた父、孝さんは(当時37歳)は津波にのまれて亡くなっている。

さびしくても泣かないこと、友だちができたこと、宿題もやっていることを告げて、作文は次のように結ばれている。

 だからおとうさん、いつもぼくのそばにいてね。

 ゆめのなかで、ほめてね。

 ぼく、いつでもまってるね。   』

これを読んで涙が止まらなかった。惣太郎君が成人式を迎える頃には東北は美しい東北に戻っているだろうか?>

これは、2012・3・11日の私のブログです。
あの震災から丸3年、震災地の復興は一向に進んでいるように見えないのに外部の我々の心の中の記憶はだんだん薄れている。
惣太郎君は9歳、彼の胸の内からあの日が消えることはないだろう。

それにしても、こうも復興が遅れている理由の一つに原発事故がある。
先日NHK特集でこんな番組を見た。
「吉田信さん101歳ツルさん103歳。関東大震災や太平洋戦争など歴史に残る出来事を乗り越えてきた。しかし3年前原発事故で故郷を失う。再び困難と向き合う二人の記録。」
お二人とも、前向きに支え合って生きておられてとても感動した。
信さんは「原発の終息をこの目で確かめるまでは死なない」と言われる。ツルさんは昔の家の近くのお地蔵さんに着物を縫い若い人に託して着せられる。その縫物の手さばきの見事な事!
信さんは毎日つけてる日記を基にして「自分史」を編纂するとおっしゃる。
この100年の日本史の証人のようなご夫婦!!
このように頑張ってこられたご夫婦を早く故郷へ返してあげたいと心から思う。