私のふるさと 長崎の夏
今日も長崎は晴れている。式典をテレビで見ながら一緒に黙とうを捧げる。
あの日も長崎は晴れていた。警戒警報は解除中であった。
小学1年生の私は、登校日で教室にいた。
突然、ものすごい閃光!!
「みんな机の下へ」先生の叫び声をかき消すように轟音と共に校舎は持ち上げられ叩きつけられた。
みんな息をひそめて頭を抱えてじっとしていた。 それがどれくらいの時間かは分からない。
「みんな急いで、防空壕へ入りましょう」という先生の声に恐る恐る顔をあげた一年生の目に飛び込んだ光景は。
血だらけの先生の顔、扉も窓も吹っ飛び床や柱にびっしりと打ち付けられたガラスの破片。
何処をどう潜り抜けたかは覚えていない。
気が付けば、母の元へとはしっていた。
その時の不思議な光景。
「真夏の雪」
お日さまは 薄い紗をかぶったように白くみえた。
わたしのみじかい影が 長崎高女のかべに映っていた。
町は静まりかえって いつもの蝉の声すら聞こえなかった。
まるで町の中から人も蝉も命あるもの みんな消えてしまったようだった。
先ほどの地獄のような光景は夢をみていたのか?
しんと静まりかえった道を
「はやく、はやく母のもとへ」と走る わたしの上に
真夏の雪がきらきら光りながら 降っていた。
これは、私の小学一年生の夏休みの体験です。
このきらきら光って落ちてきたものは、多分「死の灰」だ。
この下で繰り広げられている地獄絵を誰が想像できようか?
7万4千人もの尊い命がこの一発の原子爆弾で無くなった。
負傷者、それ以後に発症した人の数もいれれば、一体何人の犠牲者が出たのか
確実な数は把握しきれないだろうと思う。
被爆者の数も減り、多くの政治家が「戦争を知らない子供たち」であることを考えると
未熟な体験でも、語らなければいけないと思い この日は毎年原爆の事を書いている。
この猫ブログを通すことを躊躇したが、この平和な時代に生きている感謝と共に
この日を毎年と同じように祈りの日として、少しでも多くの人に知って貰いたいという思いで、今年は子猫ブログからの発信とさせて頂きました。