大阪フィルハーモニー交響楽団

いがらしさんから、「大フィルは元の関響でしょう?」と質問を受けて「んっ」という部分があったので調べてみた。今は大フィルと関フィルとがあるのでちょっと、勘違いしていた所があったので。
大フィルは
1947年、朝比奈隆を指揮者として、大阪交響楽団宝塚歌劇団京都大学の主要メンバー70名で「関西交響楽団」として創立した。その頃は「関響」と呼んでいたのだ。
その年の4月26日に焼け残っていた朝日会館で第一回のコンサートが行われた。
1960年4月25日関西交響楽団第125回定期演奏会をもって、13年の活動を終え 「大阪フィルハーモニー交響楽団」と改称。大阪フィルハーモニー交響楽団第1回定期演奏会が5月14日に毎日ホールで開催された。
1991年 西成区岸里に大フィル会館を建て、初めての自前の練習場を持った。
2001年10月24日
名古屋の演奏会で
 チャイコフスキー ピアノコンチェルト
          小山実稚江
 チャイコフスキー 交響曲第5番
の演奏が、朝比奈隆の指揮者としての活動は終わり同年12月29日に逝去(93歳)
1992年 大植英次音楽監督に就任現在にいたる。
今年2月18日にシンホニーホールで445回目の定期演奏会が行われる。戦後の大阪の音楽界を大きく支えてきた大フィルの活躍を創始者朝比奈隆先生もお喜びだろうと思う。
私事ながら、ちょうどヤマハにいる頃岸の里の練習場が出来て楽器の部品をお届けに行ったことなど懐かしく思い出した。