桜もすっかり散ってしまって吉野も静かになった。
次は夏の川遊びの頃まで、しばし道路も混まない。

話は変わって、私はよく図書館を利用して本を読む。
此処に来てから本は専ら借りて読むようになった。
昔は本が増えて処分に困った。何故か、本を捨てるのには躊躇する気持ちがあって雑誌は仕方なく切り抜き等したあと捨てていたが、ちゃんとした本は捨てられない。
本箱がいっぱいになって、はみ出したものはダンボールでしまっている。
此処に引っ越してきた間もなく町役場、ホール、図書館が同じ地所の中に建って以来図書館生活になってとても便利になった。
昔そろえた文学全集や百科事典など、誰も引き取ってくれそうにない。
引っ越す時思い切って大きい本棚にしたけれど、私が死んだらどうなることやら?

前置きが長くなったが、私は最近田辺聖子のエッセイが好きでよく読む。
女史は私より10歳年上であられるが、物の見方感じ方に「うんうん」と同感することが多い。
今読んでいる「ひよこのひとりごと」という本に「いちごの風合」という項がある。
いちごが大好き、その姿の可愛らしさ、そのままつまんでも、ミルクと砂糖をかけてスプーンでつぶしてもミルクの白と苺の赤と混じり美しい彩りになる。
そのいちごに異変がおこった。
いまのいちごはいちごに似て実は非なるものである。
すごく硬くなってすぷーんでかんたんには潰れない。
必要以上に、大きくいちごの可憐さが無い。
いつからこんなになったんだ!! という話。
本当にそう!!!
冬場のいちごは仕方ないにしてももう昔の苺みたいに口に入れただけでつぶれるような甘い苺に数年会ったことがない。
私の記憶の中の苺の一番は昔子供達が小学生だった頃、近くのいちご畑に行って自分達で摘んで買っていたもの、たくさん摘むとざるの中でちょっとつぶれる位にやわらかくとても甘かった。
姿は大きいのや小さいのや混じってこの頃の箱にきちんと並べられたものに較ぶべくもないが、とびきり美味しい苺だった。毎年楽しみに買っていたのだけれど、数年経ってそこにお家が建って子供達は苺御殿と言ったものだ。
もう一度、あの苺を味わいたいと苺の苗を求めて作ってみたが形は小さく味は買ったものと変わらず結局苺は出荷に合わせて、品種改良されてしまって昔のものはなくなってしまったのではないかと思う。
でも、どこかで昔の品種を自家用につくっておられる農家の方もおられるのかなぁ。
もう一度。舌の上でとろけるいちごをたべたいなぁ!!