誕生日

連れ合いが買ってきてくれたケーキ

11月14日、今日はわが70歳の誕生日である。
よく晴れて気持ちのいい日和で気持ちも明るく誕生日を迎えることが出来た。喜ばしいことだと思う。
朝から孫や子からバースデイコールやバースデイメールを貰う。
いつも誕生日は赤飯におナマス、焼き鯛他好きなものを作る
自分が70歳になるなんて若い頃は想像もしていなかった。驚いている自分がいる。
母の育児日記によれば、昭和13年11月14日午前11時12分に産声を上げたとある。
父の仕事の関係で今の韓国、全州大和町1番地が出生地である。若い母の喜びが伝わってくる日誌である。
昔のことで普通のお産は家でしたので祖母も韓国まで手伝いに来てくれたようだ。
その頃は、産後の肥立ちは大切ということで一ヶ月くらいは寝ているというのが普通だったみたいで結局祖母は年明けまで居てくれたようだ。祖母にとっては初孫で娘と孫が心配だったのだろう。
私は6歳で弟が生まれるまで父母の愛情のみならず、祖父母(母方、父方は父が7番目の長男で祖母には、娘が産んだ孫がうじゃうじゃ居たので珍しくも無かったようだし、娘の産んだ孫娘の方が可愛かったみたいであんまり可愛がられた記憶がない)、母の兄、私にとって伯父も自分の子供がなく私をとても可愛がってくれた。
でも、弟が生まれた時は父方の祖母も跡取りが出来たと喜んで母の枕元に来て「ようやった!!」と頭を撫でてくれたという話を後に聞いた。
私は、全州に生まれ今のピョンヤンに移り、4歳で長崎に帰り家が強制疎開で借家に移り、7歳で被爆被爆の後爆風で破損したのでまた借家を移りその後また父の転勤で大阪に来て住吉神社の近くの社宅に住み、結婚して、堺の諏訪ノ森、羽曳野、そして此処吉野に住んで現在に至っている。
考えてみれば此処は9軒目の家である。
まさか、奈良の住民になるとは思わなかった。多分、此処が終の棲家となるのだろう。
毎日を心豊かに、身体を健やかに過ごしたいものである。