阪神大震災

阪神大震災の発生から今日で12年目という。
その頃、連れ合いは、神戸ポートアイランドにあった、ホテルゴーフルリッツ
に勤めていた。朝6時起床で吉野から神戸まで通っていた。
もう直ぐ起きるという寸前、ぐらっときて全員飛び起きた。直ぐにテレビを
点けると、神戸の方で地震という放送局内部の映像が流されてきた。
「大分大きいみたいやで」といいながらも四ツ橋に勤める次女と連れ合いは
昼ごろ近鉄が動き出したので出かけた。
次女は阿倍野まで行ったら地下鉄が動いてないので、少し待ったがタクシーも
いっぱいだし、会社に連絡して帰ってきたと戻ってきた。
テレビのニュースの光景は時間を追うごとに悲惨な場面を映し出していた。
高速道路がちぎれ落ちている信じがたい映像もあった。
連れ合いはなかなか帰ってこないので、どうしたのかと思っていたら一応会社に
連絡は取れたが、ホテルの方は大分やられているみたいだという。
翌日、翌々日と日が経つにつれ今迄見たことも無いような光景が映し出される。
神戸に従妹が二人、親友と住んでいるが連絡は取れない。
電話が、全く掛からない状態で、従妹の方は、2.3日経って長崎の叔父の方に
連絡してやっと無事を確かめた。親友が無事と判ったのは1ヶ月位経ってからだ。
家は半倒壊、娘さんの婚家先に避難していた。
大きなビルがまるで積み木を倒したように倒れている。高速道路がひらひらと
紙で作ったかのように倒れている。暫くすると、あちこちで、火の手があがる。
これは、映画か何かではないのかと目を疑うような惨状が時間をおって明らかに
なった。 2,3日経って大阪市内の交通は動き出し、二人は通勤しだしたが、
梅田から先が切れ切れで連れ合いは、尼崎の工場の方に出勤していた。
ホテルの方は、埋立地にあるため地面の割れ目からコンクリート液状化現象とか
いって、溶け出しているという。
ガス管、水道管の破裂により、引火のおそれ、断水。飲料水はもとよりトイレの
使用は都会は水洗だけに悲惨だったようだ。
直ぐ、全国から救援物資、ボランティアなど、人々の善意は集まりだしたものの
想像を絶する惨状になかなか救援もはかどらないようだった。
先日、長岡市が「個人の救援物資は要りません」宣言を出した。
有り難いことだとは思うが、必要なものばかりが贈られてくるわけではないし
同じ包みに衣類と生ものが入っていたりする。仕分けするにも、配るにも
人手がいるし、保管場所にも困る。というわけであるが尤もな事だと思う。
避難所の確保も大変なのに、勝手に必要でないものまで送られても困るだろう。
冬なのに壊れたような扇風機とか、洗濯もしていない衣類とか信じられないもの
もあった。神戸の場合も40万個も救援物資が届いたという。
善意があるなら、お金が一番ということだ。
あの年、長女は5月にリッツホテルで結婚式を挙げることになっていた。
ホテルの再開もはっきりしないまま、ほとんどの式がキャンセルになったが
ぎりぎりまで待ってみようということで、はらはらしながら復興を待った。
ホテルの人たちの努力の甲斐あって、5月無事に式に漕ぎ着けることができた。
私達も嬉しかったが、ホテルの人たちが再開出来たこと、間に合ったことを
喜んで全体で盛り上がるとても良い式になった。他はみんなキャンセルになっていたので
披露宴の時間も延び放題。2次会も含めてホテルを貸切状態だった。
3年後の次女の結婚式もリッツホテルで挙げたが、余り大きくないが良いホテルだった。
今はオーナーが代わって、名前も変わってしまった。